はじめに
戦後80年・昭和100年の2025年。私は中国東北部を訪れた。かつてこの地には、満州国という国家があった。2025年は、満州国滅亡80年の節目でもある。
【満州国・満洲国】
昭和七年(一九三二)、満州事変により、日本軍が中国の東三省(現在の遼寧・吉林・黒龍江省)と東部内蒙古の熱河省にわたってつくりあげた傀儡国家。関東軍が清朝最後の皇帝であった溥儀を執政にたてて建設。同年、日本政府は日満議定書を結んで満州国を承認。同九年以降、帝政となった。首都は新京(長春)。五族協和・王道楽土を建国理念としたが、実権はすべて日本が握り、昭和二〇年(一九四五)、日本の第二次世界大戦敗北とともに崩壊した。
(出典:精選版日本国語大辞典)
城ラボ(当サイト)は、韓国に残る日本の城・倭城をメインとした城郭情報サイトだが、今回は、旅行記を書いてみることにした。記憶が鮮明なうちに書き残したいので、質よりスピード優先で書いていく。

満州国と日本近代史
「溥儀関係の遺跡に行きたいからプランニングよろしく!」
旅行のきっかけは、映画「ラストエンペラー」が大好きな妹からのLINEだった。「ラストエンペラー」は、清朝最後の皇帝であり、満州国最初で最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の人生を描いた作品だ。私は「ラストエンペラー」を見たことがなかったが、せっかく行くなら見ておこうと思い、動画配信サービスで鑑賞した。
めちゃくちゃ良かった。

私は城郭情報サイトを運営するくらいなので、歴史や遺跡には興味があるほうだが、日本近代史、とりわけ昭和史についての興味と知識は、まったくといっていいほどなかった。例えば、5.15事件とか2.26事件という呼ばれる事件があったことは、教科書で習ったから知っているが、事件の背景やその後の社会にどのような影響を与えたのかはよく知らない。興味がないから知ろうとしなかったのか、知らないから興味がわかなかったのか、とにかく現地に行く以上、一般教養レベルの知識は頭に入れたいと思った。しかし、どの本を選べばいいのか分からなかった私は、高校日本史の教科書を購入した。教科書を開くのは20年ぶりだ。
軍部の台頭、国際社会からの孤立、そしてあの戦争へ…一読しただけで、満州国建国が大日本帝国に多大な影響を与えていることが分かった。同時に、自身が高校時代いかに真面目に勉強をしていなかったのかも分かった。
新京古地図散歩
旅行が決まったのは、出発の二週間前。とりあえず主要都市の大連、瀋陽、長春、哈爾濱を観光することになった。このページでは、長春観光の思い出を記す。
長春は、かつて新京と呼ばれた満州国の首都だ。
二泊三日の長春滞在中、長春駅前の春誼賓館に宿泊した。実はこのホテル、かつての新京ヤマトホテルなのだ。ヤマトホテルとは、南満州鉄道株式会社が経営した高級ホテルチェーンで、南満州鉄道の主要駅の駅前やリゾート地にあった。
【南満州鉄道】
日露戦争終結後、明治三八年(一九〇五)に締結されたポーツマス条約によって、ロシアから日本に譲渡された東清鉄道ほか支線を含む南満州の鉄道。日本の満州経略上の重要拠点となった。昭和一〇年(一九三五)鉄道売却の協定が成立、形式上満州国の所有に帰したが、同二〇年中国に接収された。満鉄。
(出典:精選版日本国語大辞典)

そのなかでも長春、瀋陽、哈爾濱の旧ヤマトホテルは、中国の企業に引き継がれ営業されており、誰でも宿泊可能だ。

ロビーや客室など内部は改装されているが、ロビー正面階段のステンドグラスは当時のままらしい。正面階段を登った先には、溥儀が使ったとされる姿見鏡が置かれている。

長春には、満州国時代の建物が残されているということは知っていたが、急に決まった旅行で下調べする時間はほとんどなく、溥儀がいた仮皇宮や満州国の行政機関施設しか特定できなかった。

当然のことながら土地勘はなく、おまけにインターネットの規制が厳しい中国では、Googleサービスはブロックされているため、GoogleMapsは機能しない。そこで今回は、1937年に発行された新京観光地図を参考にしながら
- 位置が推定可能な場所
- ホテルから徒歩圏内
を歩くことにした。普段、どこへ行く時もGoogleMapsを見ながら歩いているせいか、アナログ地図を片手に歩くのは新鮮だ。

新京ホテルを出発し、中央通を南に向かって(地図でいうと右から左)しばらく歩くと”いかにも”な建物が見えてきた。長春郵政局と表示されているこの建物が満州国の中央郵便局だ。
長春市文物保護単位
偽満中央郵便局旧址
長春市人民政府
2002年7月8日公布
長春市人民政府立
と書かれたプレートが設置されている。日本でいうと県指定文化財のようなものだろうか。ちなみに偽満とは、満州国のことを指す。中国政府は、満州国を国家とは認めていないのだ。

中央通を渡り、新京神社へ。
戦後、社殿は幼稚園として利用されたが、近年取り壊されたという。周囲を散策していると、幼稚園の出入口に鳥居と思われる門があった。昔、韓国と台湾の神社跡に行ったことがあるが、その時に感じた何とも言えない感覚を思い出した。

続いて西公園へ。
児玉公園とも呼ばれたこの公園の入口付近には、日露戦争で活躍した児玉大将の騎馬像があった。しかし、満州がソ連に占領されてまもなく破壊されたらしい。現在は勝利公園という名に変わっており、入口付近には毛沢東像がある。
公園を散歩していると…見えた!関東軍司令部だ。

関東軍と中国共産党
西公園から関東軍司令部に向かう途中、中央通の向かい側に目をやると、古そうな建物があった。関東軍憲兵隊と関東局だ。現在は、吉林省人民政府となっている。

【関東軍】
第二次世界大戦の終戦前、満州国(中国東北部)に駐屯していた旧日本陸軍部隊の総称。明治三八年(一九〇五)、関東州の防衛と南満州鉄道株式会社の権益を守るために駐屯させた二個師団に始まる。のち関東都督府に陸軍部が置かれ、大正八年(一九一九)には関東軍司令部が新設されて天皇に直属し、以来、満州国を実質的に支配した。
(引用:精選版日本国語大辞典)
中央通と交差する新発路を北に進むと(地図では下から上)関東軍司令部が見えてきた。私がこの旅でいちばん楽しみにしていた場所がここだ。以前、古写真で見たことがあり、機会があれば行ってみたいとは思っていたが、まさかその機会がやってくるとは思っていなかった。実物を見た瞬間、思わず私は
「でかっ!」
と声を漏らした。想像よりはるかに大きく、威圧感があった。

現在は、共産党吉林省委員会となっている。つまり、今もこの地を統治する最高権力機関の本部というわけだ。周囲は監視カメラだらけ、出入口には直立不動の衛兵が目を光らせているため、前を歩くだけでも緊張感があった。
関東軍司令部の西隣には、関東軍司令官官邸がある。看板によると、2025年10月からカフェとして活用されているそうだ。

たくさん歩いて疲れていたので、ここで一服することにした。内部の様子は撮影禁止ということで写真はないが、クラッシックホテルのカフェラウンジのような空間が広がっていた。

外に出ると、すっかり日が暮れていた。本当はもう少し散策する予定だったが、タクシーでホテルに戻ることにした。車窓からは、ライトアップされた関東軍司令部が見えた。

おわりに
私は倭城のことを「韓国に残る日本の城」と呼んでいるが、関東軍司令部を「中国に残る日本の城」と呼ぶことにする。日本軍が占領地に日本の都合で建てた日本式の城という点では同じだからだ。
ところで、お城ファンの間では「城イコール天守ではない」と言われる。もし「城イコール天守」などと口にしたら「本当の城好きではない」などと非難されることもあるという。しかし、姫路城と聞いてパッと思い浮かぶのは、中堀や土塁ではなく、あの白亜の天守群という人がほとんどだと思う。江戸時代の浮世絵では、武将や戦いをテーマにした浮世絵が多数存在するが、天守など存在しないはずの楠木正成の城でさえ、天守が描かれている。それに、現代の各地の観光パンフレットなどでも、天守を目にすることが多い。
日本人にとって、城イコール天守といっていいのではないだろうか。

追記
長春滞在最終日、ホテルのチェックアウト時刻まで、ホテル周辺をもう一度散歩した。その時に撮影した写真を紹介する。なお、現存するものの、私たちが見つけられなかったものもあるかもしれない。他にもご存知の方がいらっしゃったら、ご教示いただけると幸いである。



【参考資料】
平塚柾緒2018「図説 写真で見る満州全史」河出書房新社
五味文彦・鳥海靖編2017「新 もういちど読む 山川日本史」山川出版社
鳥海靖編2013「もういちど読む 山川日本近代史」山川出版社
小学館国語辞典編集部編2006「精選版 日本国語大辞典」小学館
映像の世紀バタフライエフェクト「満州帝国 実験国家の夢と幻」NHK(2023年4月10日放送)
映像の世紀バタフライエフェクト「ラストエンペラー 溥儀 財宝と流転の人生」NHK(2025年2月3日放送)


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