韓国名 明洞倭城(명동왜성) 史跡指定 なし 所在地 昌原市鎮海区明洞山75 築城年代 文禄 築城者 宗義智、松浦鎮信 主な遺構 土塁、堀切、石垣、虎口
【占地】
城跡は標高155.7m(比高ほぼ同じ)の城(ソン)シル峰の山頂と、そこから派生する支尾根の小ピーク、それに海岸に面した独立丘の4曲輪群を総称して「明洞倭城」と呼称している。各曲輪群同士は外郭線などで連結せず、求心性の弱い配置である。
【歴史】
文禄2(1593)年に宗義智・松浦鎮信ら九州勢の大名が、熊川倭城の「端城」として築城した。
【遺構】
A区は城域の最高所で、本城の熊川倭城を遠望することができる。Ⅰ郭が主郭である。東隣の曲輪の片隅には横矢掛りの突出部がある。
B区は、標高80mの尾根中腹の小ピークに占地し、当城で最大の曲輪群であることから城の中枢部と考えられる。Ⅱ郭が主郭で、中央に天然の露岩を挟むため前後に1.5m程度の高低差があるが概ね方形を志向している。東南隅に虎口を開口し、尾根続きの背後は堀切と土塁で遮断するが、堀切に向って横矢掛の突出部がある。Ⅳ郭は削平の悪い緩斜面を石垣で区画し、一般兵士の駐屯地として使用されたと考えられる。
C区は、標高90mの支尾根の最高所に占地する。Ⅳ郭が主郭で虎口は食い違い虎口となり、東南隣の曲輪にも平入り虎口と嘴状虎口を開口する。前面の虎口の厳重差に比して、主郭背後は低い石垣を積むだけで防御性に乏しい。曲輪はほぼ石塁のみで構築されており、曲輪内部の削平はやや甘い。
D区は、標高30mの海岸線に面した独立丘に占地する。Ⅴ郭は削平が悪く、自然地形を削り残したような箇所も一部で見られるが、外周は高石垣と切岸で壁をきっちり造成している。Ⅷ郭は石塁囲みで、Ⅴ郭よりもしっかりとした造りであるが、Ⅶ郭へ繋がる虎口が見られず各曲輪が独立的である。
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