韓国名 熊川安骨倭城(운천안골왜성)ウンチョンアンゴルウェソン 史跡指定 慶尚南道文化財資料第275号 所在地 昌原市鎮海区安骨洞山32-4 築城年代 文禄 築城者 九鬼嘉隆、加藤嘉明、脇坂安治 主な遺構 土塁、堀切、石垣、虎口、天守台
占地
城跡は、標高60m(比高ほぼ同じ)の尾根暗部を中心に占地する。眼下に熊東湾を望み、湾口の対岸に熊川倭城、加徳水道をはさんで加徳倭城と加徳支城を遠望することができる。当城周辺は釜山新港建設に伴う埋め立て事業のため、現在では沖合の加徳島と陸続きになったが、1990年代まで眼前には紺碧の海が広がっていた。
歴史
文禄2(1593)年に脇坂安治が築城して、脇坂・九鬼嘉隆・加藤嘉明の水軍諸将が交替で守備を担当し、紀州・瀬戸内の水軍衆も参戦していた(白峰旬2003『豊臣の城・徳川の城』校倉書房)。
遺構
当城の最大の特徴は、独立性の高い主郭相当の曲輪が3か所もあり、それぞれに天守台を設けている点である。Ⅰ郭が最高所で規模も大きく主郭と考えられ、Ⅱ・Ⅲ郭が副郭になる。この珍しい縄張りは、3人の城主が交替で守備した現れだと見る向きもあり、国内の近世城郭ではまず見られない異形の城である。
さらに堀切をはさんで、土造りのⅣ郭がある。ここから山麓に向かって竪土塁を築くが、北側斜面一帯には一部に石垣を伴ったひな壇状地形が無数に残り、一般兵士の駐屯地と考えられる。
備考
西隣の小ピーク上を中心に、平面L字形の石塁ラインが残存する。本来石塁は東へ続いていたと思われるが、既に消滅している。これは朝鮮水軍が築いた安骨鎮城の城壁で、これを安骨浦倭城の外郭線に取り込んでいる。石垣の積み方は、根石を水平に据えて若干後退した位置から垂直に積み上げており、日本式石垣とは異なっている。2か所に横矢掛かりの突出部「雉城(チソン)」を設ける。
この石塁先端部の山麓には、30m四方の方形区画Ⅴ郭が存在する。ここは直線的な勾配を付けて積んだ日本式石垣で、コーナー部には横矢掛りの折れを一箇所設けている。
コメント