韓国名 松真浦倭城(송진포왜성)ソンジンポウェソン
史跡指定 なし
所在地 巨済市長木面長木里山6-3
築城年代 文禄
築城者 福島正則、戸田勝隆、長宗我部元親
主な遺構 石垣、虎口、登り石垣
【占地】
城跡は、長木湾の湾口にあたる狭水道の右岸、標高100mと80m(いずれも比高ほぼ同じ)の瓢箪形をした岬に占地する。長木湾の湾口を挟んで長門浦倭城と向かい合う位置にあり、両城が連携して港湾防禦にあたっていた。
【歴史】
文禄2(1593)年に福島正則・戸田勝隆・長宗我部元親らが築城して、守備も担当した。
【遺構】
当城は山頂部に小規模な山城部分と西麓の小ピークに出曲輪を築き、海岸に面した斜面の山麓居館の3区画で構成される。
Ⅰ郭が主郭で、二方向に枡形虎口空間A・Bが付属するだけのシンプルな構造を呈する。規模は小さくて面積も狭く、また石垣も全体的に低い。これを2条の登り石垣で山麓居館と連結する。
主郭から尾根鞍部を挟んだ東方のピークに出曲輪がある。西に虎口Cを開口するが、虎口受け空間を経てスロープで下位へと下る。
海岸に面してⅢ郭があり、ここが山麓居館がある。全体的に高石垣で構築され、北面には石垣の繋ぎ目が見られることから、縄張りの改修、もしくは石垣の普請単位と見られる。虎口Dは間口が4間幅の立派なもので、石段も現存する。
当城は山城部分が極狭で石垣は低く、山麓居館の方が面積的に広く高石垣を築いている。海に面した山麓部が縄張り中枢部で、背後の山頂部は詰の丸的な空間であったと考えられる。また虎口Dの立派さから見て、海を大手にした縄張りであると評価できる。
【備考】
城跡周辺の海岸線一帯には、矢穴の残る巨礫(残念石)が見られ、ここが石垣石材の石切り丁場であったと考えられる。
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