望晋倭城(マンジン倭城)

倭城
韓国名  望晋倭城(망진왜성)マンジンウェソン
所在地  晋州市望京洞山29-3
築城時期 慶長
築城者  島津義弘、島津忠恒
主な遺構 曲輪?
史跡指定 なし

【占地】

 洛東江(ナクトンガン)の支流・南江(ナムガン)を挟んだ晋州城の対岸、標高185m(比高155m)の望晋(マンジン)山に占地する。同山は古くは「望津」の漢字を充てた(発音は同じマンジン)。

【歴史】

 当地は文禄元(1592)年と文禄2年の2度にわたって繰り広げられた「晋州城の戦」の舞台、当城は慶長2(1597)年になって島津義弘・忠恒らが泗川倭城の支城として普請した(髙田2008)。また朝鮮時代には望晋山烽火台が築かれた。

【遺構】

縄張図(作図:堀口健弐)

 現在、山頂部を中心に数段の平坦地が残るのみで、明確な城郭遺構は見られない。削平地の外周は切り立った切岸状となり、特に晋州城を臨む西斜面は絶壁となっている。地表面には、少量ながら古式の朝鮮白磁片の散布が認められたので、近代以前にこの地で何らかの人々の営みがあった事だけは確かのようである。

この記事を書いた人
堀口健弐

城郭談話会会員。日本考古学協会会員。研究テーマは倭城と日韓の城郭。

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