馬沙倭城(マサ倭城)

倭城
韓国名  馬沙倭城(자마왜성)マサウェソン
史跡指定 なし
所在地  金海市翰林面金谷里山61-2
築城年代 ?
築城者  鍋島直茂、鍋島勝茂
主な遺構 土塁、虎口、竪土塁

【占地】

 城跡は、金海市の最北端、標高80m(比高70m)の半島状丘陵に占地する。洛東江と支流のファンポ川との合流地点に位置し、これが天然の水堀の役目を果たしている。城跡の麓近くにはコソン(古城か)の地名も残る。

【歴史】

 当城の築城時期は不明で、鍋島直茂・勝茂が築城した。

【遺構】

縄張図(作図:堀口健弐)

 当城は現倭城の中では唯一、石垣を使用しない土造りで、瓦片の散布も認められない。

 Ⅰ郭が主郭である。主郭背後は落差があるものの、堀切などの防御施設はない。虎口Aは外枡形虎口となり、Ⅱ郭とを2条の竪土塁で連結している。Ⅱ郭は南面を低い土塁で遮断し、平入り虎口Bを開口する。ただし互いに虎口を開口しあって曲輪同士が対峙しあい、縄張りの求心性は弱い。

【備考】

 当城は、他の倭城とかなり距離が離れて単独で築かれおり、なおかつ小規模である。大河に面して占地することから、河川交通の監視や中継地点としての役割を担ったと思われる。

この記事を書いた人
堀口健弐

城郭談話会会員。日本考古学協会会員。研究テーマは倭城と日韓の城郭。

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